2014/10/29

鉄道学科

初秋・北海道紀行 学生レポート!!

初秋・北海道紀行 学生レポート!!

「秋風や旅の浮世のはてしらず」

明治の俳人 正岡子規がしたためたこの句に揺すぶられて、私は北の果て、北海道へ旅をしてきました。

移動手段はほとんど鈍行列車・路線バス、ときどき自転車と徒歩。向かうは札幌・富良野・知床・網走そして最北端 稚内へ。

10泊11日かけてのビンボー気まま一人旅、しばしお付き合い下さい。

北斗星
北斗星運行ルート

北海道へは上野駅を19時に出る夜行列車「北斗星」で向かいます。

列車には食堂車やロビー室もあって、道中の退屈はありません。 早朝、青函トンネルに入り、朝日と同時に北海道に入ります。そのまま列車はひた走り、11時過ぎに札幌に着きました。

富良野駅
北の国からロケ地

まずは北海道の「へその街」富良野へ

1981年のテレビドラマ「北の国から」のロケがここ富良野で行われ、田中邦衛さんや吉岡秀隆さんなどがこの富良野の街を訪れてロケを行なっていました。

その撮影時の建物が、富良野市郊外の「麓郷の森」周辺に今も残っています。

「子供が、まだ食ってる途中でしょうが!」などの名言が生まれた地でもあります。

知床
知床

続いて向かったのは知床。

世界遺産となった知床半島には観光船が出ていて、船の上から、半島の手付かずの自然を目にすることができます。

しかしこの付近は波が高いことが多いらしく、私が行った時は危うく欠航になるところでした。

網走刑務所
網走刑務所内

知床から北上して網走へと向かいます。

網走というとやはり刑務所。かつて使われていた刑務所の建物が「博物館網走監獄」として保存されています。

明治までの網走は人口1万人足らずの小さな町でしたが、明治23年にこの地に囚人を集めて、「釧路集治監網走分監」が建設されました。

そこに集められた囚人たちは皆、当時の富国強兵政策の下、札幌~網走間を貫く中央道路の建設に駆り出され、休みなく働かされました。この経緯から、「網走に送られたら生きては帰れない」といわれ、映画「網走番外地」などの舞台にもなりました。

稚内
稚内

網走から、旭山動物園で有名になった旭川を経由し、ついに北の果て、稚内までやってきました。

稚内の市内からバス1時間半で日本のどん詰り、宗谷岬に着きます。雲のない日にはサハリンのクリリオン岬が見え、終始観光客で賑わっていました。

最果ての街としての稚内ですが、戦前まではここから遠く樺太半島(現サハリン)までが日本の領土でした。その当時の連絡船が発着していた防波堤ドームも当時の装いそのままに残っています。

稚内駅を出た列車は、このドーム内にあった「稚内桟橋駅」に到着し、そのまま連絡船に乗ることができました。

駅
駅

さて、旅も後半なのですが、ここで私はとんでもない失敗をしてしまいました。上の写真を撮ったあと、一旦荷物を列車内に置いて買い物をしに行きました。

ところが、この列車の発車時刻が思っていたより2分早くなっていたのです。お土産を抱えてホームに戻ったとき、すでに列車はいませんでした・・・。荷物ごと。

乗り損ねたのは名寄行最終列車で、今日中に名寄まで行く手立てがありません。財布は持っていたので、この日の晩は近くの旅館で宿泊して翌日の始発列車で名寄まで荷物を取りに行きました。荷物だけが列車に乗ってしまうというハプニングがありましたが、このあとは無事に旅を続けることができました。

小樽運河
ドレス

小樽運河の夜景を眺め、北海道の最南端 襟裳岬にも足を運びました。

帰りはフェリーを使いました。苫小牧港を19時前に出航する商船三井の船で茨城県の大洗港へ。船内にはレストランや浴場、さらに映画館もあります。夜は、船の甲板から満天の星を眺めることが出来ました。

北海道への旅行というと往復飛行機、道内移動は特急や高速バスを使う旅行者が多いですが、今回はまったく真逆の方法で旅してみました。決して快適な旅ではありませんでしたが、そこには人とのふれあいあり、ハプニングあり、そして何より達成感が待っていました。